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2009年7月25日 (土)

まぼろしの原稿~ひさしぶりに更新してみました

 最近、「ブログはちっとも更新しないのですね」と、何人の方に言われた。

 更新するだけの時間的、精神的余裕がないので、自分のほうで更新することを諦めていたのだが、そう言っていただくと、ありがたいものである。
 気になって、アクセス件数を確認すると(そういう機能がココログにはあります)、過去6か月、1日平均18人の方が訪れてのべ21回アクセスされているようだ。
 正直、驚いた。どういう人が、アクセスしてくれているのだろうか、と気にもなった。


 同じころ、「「○○」の連載はいつの間にか終わったのですね」とも言われた。
 その方は、現在、私の所属する専門職大学院の院生であり、大学院に来た1つの理由は、その連載を読んで、藤井に興味をもったからだという。
 
 広島の片田舎で貧乏人として育てられたため、根っこのほうで、僻み根性がある。
 悲しいかな、ほめられると、「おべんちゃらに違いない」、とどこかで思ってしまう。
 悲しい性で、確かめるように、「へえ、どの話が面白かったですか?」と聞いてしまった。

 すると、本当に私が書いた文章のいくつかを覚えていて、あの話は、自分のところでも同じようにあって、どこでも同じようなことがあるんだなあ、と感心しました、と語ってくれた。

 正直、1年前に終わった連載を、話の中身まで覚えていてくれる熱心な読者がいてくださったとは思っていなかったので、大層うれしかった。


 実は、「○○」の連載、結構、力を入れて書いていた。

 連載していたころは、何を聞いても、これは記事にできないかな、と思いながら聞いていたりした。ネタに困ると、知り合いに、何か面白い話ないかしら、とこっちから取材したりもしていた。
 「現場で聞いた話をもとに考えた」というスタイルを貫こうとしたことが、結果として、自分で自分の首を絞めたところもある。
 最初の頃は、エッセイのようなものなので、楽しんで書けていたのだが、半年(6回)たったころから、ネタもつきて、すらすらとはいかなくなってきた。ネタがないのに苦しむだけでなくて、見つかったネタをどう考え、どう広げるかも悩むようになった。
 感覚としては、批判的態度はできるだけソフトにして、希望と勇気につながるようなものにできれば、というものだった。
 しかし、これが案外難しい。私の文章能力では、四苦八苦してようやく、それらしくなるくらいだ。

 そんなことで、締め切りを守らないのは、最初からのことだった。
 しかし、だんだんに、締め切りが名目だけのものになってきた。
 連載が2年目に入ったころから、どこが本当のデッドラインもわかってきて、本当のデッドラインが自分の締め切りになった。そして、デッドラインを踏み越しかねないこともしばしばあった。
 編集者の方には、本当にひやひやさせて、ご迷惑をかけただろうと思う。編集者のご苦労もあって、連載を「落とす」ということだけは、避けられてきた。そういうことが積み重なると、こっちはどんどん、それに胡坐をかくようになる。

 そんなある月、第17回目の原稿について、デッドラインも踏み越して、とうとう、こんなメールが来た。

「再三原稿提出のお願いをいたしましたが、ご入稿いただけず、不本意ながら他記事に差し替えを行いました。連載企画が休載となるのは月刊誌にとって最悪の事態であり、読者からの信頼を損なうものと深く受け止めております。
本連載については、編集部としても大変興味深く、読者にとっても有意義な内容と考えております。しかし、今回の件を踏まえ、部内で協議したところ、今後の連載継続は困難との結論に至りました。つきましては、誠に残念ではありますが、○月号をもって連載終了とさせていただきたいと存じますので、ご了解くださいますようお願いいたします。」

 大変、申し訳ない気持ちになった。
 また、メール一本で連載打ち切りになったことで、売れない作家の気分をたっぷりと味あわせていただいた。自分の中で、「いくらなんでも、メール一本で打ち切りにするのは…」という気持ちを見つけ、おごりがあったことも反省した。
 一方で、締め切りに悩まなくてよいことに、ほっとした心持もあった。

 ところが、連載が打ち切られて1年たった頃から、「ああ、この話は、あの連載があれば、書きたかったなあ」と思うことに、再三出会うようになってきた。
 おそらく、自分の中の気持ちが、また、復活してきたのだろうと思う。
 ただ、そうなると、連載が打ち切られたことが、口惜しくなってきたのも事実である。
 事実ではあるが、まあ、自分のせいだから、やむを得ない。

 と、あきらめかけたころに、「あの連載を楽しみにしていました」など、と聞くと、また、やっぱり残念な心持になってくる。

 それから、お断りしているのだが、あるところから「○○に連載されていたような内容で研修の講師をやっていただけないだろうか」というご依頼をいただくこともある。


 ふと、このブログで、やればよいのではないかと、2つのことがつながった。


 ということで、いきなりなのであるが、17回目の原稿として準備していた幻の原稿について、公開したいと思います。
 1年前のことなので、ちょっとさすがに、ネタは古いです。それに、連載疲れからか、そんなに面白い内容とは思えないのですが(ちょっと防衛的である)、折角なので、公開してみたいと思います。

 今後、現場でこういうことを聞いた、という形式にこだわらず、エッセイ風に色々書いていきたいと思います。

===

介護報酬が上がること、給料が上がることの意味


 「介護報酬を上げて、介護職員の処遇を良くするということを聞きました。報酬を高くするとして、本当に介護職員の給与が上がるのでしょうか。お年寄りの保険料が高くなるだけではないのでしょうか。」
 こういうメールを、地方のデイサービスで管理者を務める介護職員からもらった。
 彼女と同じ心配をしている人は、少なくない。
 確かに、大都市部を中心に、施設側としては職員の賃金をあげたいのだが、収入が不足していて、これ以上人件費あげられないという話をよくきく。
 しかし、一方で、今でも介護職員の給与があげられる余裕がありながら、最低限の賃金ですませようと考えている経営者も少なくない。こういう経営者(そういう人々を「経営者」と呼べるかどうかは置いておくとして)が多いと、介護報酬を上げても、それは職員のもとには届かないだろう。
 実際、約20年前、看護職員でも同じようなことがあった。当時は、バブル経済に湧いていた。看護業務は3K職場なうえに給料が低いとされ、看護職員が不足することが社会的な問題となっていた。そこで、看護職員の待遇を改善すべく、診療報酬の引き上げが行われた。しかし、目に見える直接的な効果はなかったとされている。
介護報酬をあげれば、介護職員の給料が上がるという単純なものではないのだ。

介護職員の給与の適正水準とは

 そもそも、介護職員の給与水準を、どこまで上げるべきか、意外に難しい。
一般に、「介護職員の給与が低い」という場合、同じ年齢層で、他職種と比較する場合が多い。しかし、こうした比較をすると、介護職員の給与は、見掛け上低くなる。というのも、一般に、給与を決定するのは、主として職場での経験であるが、介護の職場では、他の仕事と比較すると、年齢が高くても経験が浅い職員が多いからだ。
そこで、年齢に経験年数も加味して、「福祉施設介護員」の年収を他の職種と比較してみると、保育士、准看護師、歯科衛生士とほぼ同じであり、理容師・美容師、販売店員、スーパー店チェッカーより高く、看護師や理学・作業療法士よりは低くなるという結果になる(いずれも、女性の常用労働者の場合、平成19年度厚生労働省「賃金センサス」)。
 こうして比べると、介護職員だけが特別に低いわけではないということになる(ただし、「ホームヘルパー」の場合は経験年数を加味しても相当低い)。
ところで、そもそも、経験年数(在籍年数)や年齢だけで、給与が決まるべきなのか。
 日本では、長く、年功序列型の賃金が一般的だった。年功序列型の賃金の場合、最初は給料が安いが、結婚し子どもができるという年齢になるにつれ、給料があがり、職員は安心して勤務を続けられる。そのために、職員は、できるだけ長く1つの職場に勤め、組織の輪を保ちつつ、その職場の中で知識や技術を得ていこうとする。
 年功序列型賃金は、このように優れた制度だった。
 しかし、時代の変化とともに、能力や努力がなくとも昇給するという仕組みが、かえって、事なかれ主義や人員配置の硬直化につながる場合も目立つようになってきた。
また、そもそも、年功序列型賃金が成立するためには、職場の規模が大きくなり、どんどん職員が増えるという状況が必要だ。この条件がくずれると、給料が高い人の割合が増え、コストが跳ね上がってしまう。
こうしたことともあり、日本中の職場で、年功序列型賃金の維持が困難になり、新しい賃金体系を模索しつつある。ただ、これは単に賃金体系を変えるということに留まらない。年功序列型賃金をやめると、組織の中における職員の意識までも変わってしまうからである。
 年功序列型賃金は続けられない、かといって、良い賃金体系がない、というのがあらゆる業界の共通の悩みである。介護でも、同様のことがいえるのではないか。

介護に向かい合う真摯な気持ちをはぐぐむもの

 ところで、冒頭に紹介した彼女のメールは、次のように続いている。
「実は、私が一番心配しているのは、介護職員の給与が高くなった場合のことです。介護職員の給与が高くなり、お金のために誰でもか介護の仕事を選びはじめると、おとしよりの立場にたてない職員が増えるのではないかと思うのです。」
 この彼女の意見に、賛成しない人も、多くいると思う。サービスを必要としている人はどんどん増えていく中で、「やりがい」だけで職員を集めることには無理がある。
 しかし、彼女の意見にも、もっともな点がある。
介護保険がもてはやされた時代、世の中が長い不況にあり、人材を募集するのに苦労がなかった。筆者の所属するような福祉系の学校にも、「就職に困らないから」「将来が明るいから」といった理由で、多くの学生が高齢者介護をめざして受験してくれた。
 それがここ最近、すっかり状況が変わった。介護の職場でも学校でも、職員や学生を集めるのに、本当に苦労している。
 ただ、1つだけ希望を見出せるとすれば、今の時代に福祉や介護の勉強をしたい、仕事をしたい、という若者は、今まで以上に、福祉や介護に真剣に向かい合おうという気持ちが強いことである。
給料や処遇は重要である。と同時に、介護に向かい合いたいという気持ちは重要である。これらを両立するための制度や仕組みが求められている。

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コメント

突然のコメント失礼致します。
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今後ともよろしくお願い致します。
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投稿: sirube | 2009年7月25日 (土) 16時47分

「○○」の連載の中断・・・もしかして「あれかな?」と思い拝読しました。
私も楽しく読んでいた一人でした。
しかし、不思議なものです。
久しぶりに何気なく藤井さんのブログを開いたら、なんと!更新されているではないですか!(^^)!
無理のな更新を待ってますよ~(^^)

投稿: 宮崎人(^^) | 2009年7月29日 (水) 10時22分

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